オリンピアコスリーグ

<ウェブサイト名>

<現在の時刻>

出典: 標準

toggle navigation TOP ニュース コラム 企画 --> --> TOP ニュース コラム 企画 TOP >  コラム  > 東海道神奈川宿の人々と外国人 開港直後の異文化交流!? 知って楽しい! 横浜旧東海道おもしろ小噺 第1回 東海道神奈川宿の人々と外国人 開港直後の異文化交流!? 2022年02月24日 10時00分更新 文● 小林紀子(横浜市歴史博物館学芸員) ツイートする  横浜には江戸時代、3つの宿場「神奈川宿」「保土ケ谷宿」「戸塚宿」があり、多くの旅人でにぎわいました。旧東海道沿いには、今も神社仏閣や建物などの数多くの歴史資産が残されています。この連載では、横浜旧東海道の歴史にまつわるエピソードや見どころをご紹介していきます!  今回は、東海道五十三次のひとつで、日本橋から3番目の宿場「神奈川宿」をご紹介します。今後は、保土ケ谷宿や戸塚宿もご紹介していくのでぜひチェックしてみてください!  神奈川宿は江戸時代、東海道の宿場として旅人たちで賑わうとともに横浜開港当初の数年間、外国の領事や宣教師たちが暮らす場にもなりました。開港場の場所をめぐっては、既に宿場があり栄えていた神奈川(現在の神奈川区)を開港場にと主張する外国側に対し、半農半漁の小さな村だった横浜(現在の関内周辺)を主張する幕府側で意見が対立しました。結果として、外国側の主張をはねのけ、幕府は横浜に開港場を建設し、それに対抗する形で外国側は神奈川に領事館を置いたのです。  神奈川宿に暮らしていた人々にとっては、突然外国人が身近に生活するようになり、異文化交流がはじまったようなものかもしれません。  では、当時の人々からみた外国人たちの暮らしはどのようなものだったのでしょうか。今回は、当時神奈川宿に住んだ人物が残した記録「金川(かながわ)日記」から、その一端を見てみたいと思います。  「金川日記」は、武蔵国都筑郡久保村(現横浜市緑区三保町)出身の医師、佐藤汶栖(ぶんせい)の日記です。汶栖が嘉永2年(1849)に隠居して神奈川宿に住んだ記事からはじまり、万延元年(1860)までの12年間にわたって、さまざまな出来事が記されています。  安政6年(1859)6月2日の横浜開港直後、神奈川宿内の本覚寺はアメリカ領事館となりました。「金川日記」には、本覚寺の住職から聞いたアメリカ人の様子が次のように書き留められています。  食事の時は、前に長さ4尺(およそ1.2m)ばかりの高足の膳を置いて、その上へ羅紗(らしゃ:厚手の紡毛織物の一種)のような、模様のついた布を敷いて、ガラスの器に酒食を盛り並べてたいへん贅沢な様子だ。浴槽は縦6尺(およそ1.8m)余、横3尺4~5寸(およそ1m余)で、ひじをかける棚がついており、湯に入る時は仰向けになって、両ひじをかけて休息しているようだ。その湯へは、自分以外は1人も入らないとのことだ。しかしながら、飼っている狆(ちん)を、自分が入浴した後に自らこれを洗っている…(安政6年8月22日の記事より抜粋、口語訳)  テーブルクロスをかけたテーブル、浴槽に一人で手足を伸ばして入浴する様子、浴室でペットの小型犬を洗う様子など、当時の人々にとってはとても珍しく、新鮮に映ったのでしょう。むしろ現代の私たちのほうが想像しやすい光景かもしれませんね。  また汶栖は、とある著名な外国人ともかかわりがあったようです。 「本覚寺」。当時アメリカ領事館が置かれた。万延元年~文久元年(1860~1861)頃 渡邉戊申(株)の寄付により購入、横浜開港資料館所蔵 「金川砂子 七軒町本覚寺」(国文学研究資料館所蔵)  高尾という人物が病気のため、「邊暮論」から数か月治療を受けたが効果がなく、汶栖に灸での治療を求めてきた。汶栖が診察したところ、灸での治療は難しかったため、断った。しかしながら「邊暮論」は、必ず有効だからと切に願い求めてきたので、やむを得ず灸による治療を行った(万延元年8月10日の記事より抜粋、口語訳)  ここに登場する「邊暮論」、「ヘボロン」と読みます。実はこの人物、日本初の和英辞書編纂や聖書の翻訳、ヘボン式ローマ字の考案などで知られる、宣教医ヘボンなのです。ヘボンは安政6年10月に来日し、成仏寺(じょうぶつじ)に住みました。ちなみに汶栖はこの時成仏寺門前に住んでいました。汶栖にとって、ヘボンは最も身近に暮らす外国人だったのです。そしてこの記事からは、ヘボンと汶栖の間に交流があり、しかも、お互いに医師として認めあっていることも読み取れます。 「金川日記」には、このように神奈川宿の外国人たちの様子が、生き生きと詳しく記されています。それだけ汶栖が、外国人やその文化に関心を寄せていたということでしょう。当時の神奈川宿の人々がみな汶栖と同じ考えだったかどうかはわかりませんが、日常的に外国人が身近に存在するようになった、開港直後の神奈川宿の情景が目に浮かぶようですね。 ※年月日は和暦を用いています 「神奈川宿成仏寺の宣教師たち」中央の男性がヘボン。万延元年~文久元年(1860~1861)頃 (渡邉戊申(株)の寄付により購入、横浜開港資料館所蔵) 「金川砂子 飯田町成仏寺」(国文学研究資料館所蔵)  今回の記事でご紹介した神奈川宿で楽しいイベントが開催中です!  アメリカ領事館が置かれた本覚寺やヘボンが暮らした成仏寺など神奈川宿の神社やお寺をぜひ巡ってみてください。 <イベント開催情報> 「旧東海道神奈川宿ウォーク2022~旧東海道神奈川宿を歩いて、巡って、楽しもう!~」 3月14日まで開催中!  コース上の9つのクイズスポットを巡り、正解した方にはオリジナル景品をプレゼントします。魅力スポット満載の歴史探訪をぜひお楽しみください♪  詳細はこちら(神奈川区ウェブサイト)  次回は、保土ケ谷宿と戸塚宿を順番にご紹介する予定です。お楽しみに! ★楽しく分かるヨコハマ3万年★  「横浜に生きた人々の歴史」をテーマに、横浜市域の原始から近現代の歴史を展示する常設展、年数回開催される多彩な企画展、国指定史跡「大塚・歳勝土遺跡」を中心とした遺跡公園をお楽しみいただけます。 文/小林紀子(横浜市歴史博物館学芸員) 栃木県生まれ。2003年に横浜市歴史博物館に就職。専門は日本近世史。これまで「横浜の神代神楽」「黒船・開国・社会騒乱」「生麦事件と横浜の村々」「佐久間象山と横浜」「戊辰の横浜」「横浜の大名 米倉家の幕末・明治」などの企画展を担当。好きなものはペンギンと地ビール。 ■関連サイト 横浜市歴史博物館 公式Twitter この記事をシェアしよう ツイートする 横浜LOVE WALKERの最新情報を購読しよう Follow @YKHM_LOVEWalker カテゴリートップへ この連載の記事 第3回鎌倉へとつながる地で、文化の薫りを今に伝える戸塚宿~戸塚区~ 第2回江戸時代の紀行文に記された保土ケ谷宿~旅籠屋(はたごや)が軒を連ね、名所へ向かう旅人が宿をとる繁昌(はんじょう)のまち 保土ケ谷区~ この連載の一覧へ この記事の編集者は以下の記事をオススメしています 【連載】保土ヶ谷区丼「じゃがいもにぎわい御膳」 【連載】神奈川区に伝わる伝説から「浦島太郎のジュエリーボックス」 【連載】「アートでめぐる横浜18区」磯子区編 大雪の中を行く行商人が運んでいるものは?「新版画」にみる大正時代の根岸の情景。 フォロワー9万人を突破! 横浜市公式Instagramの人気の秘密 Tweets by YKHM_LOVEWalker ピックアップ 佐藤農園 野彩家さんのトマトプレート「緑区丼」 もなみん、「ワンちゃんクレープ」のおいしさ&かわいさに感動♪ ホテルニューグランドの魅力満載!「S.Weil by HOTEL NEW GRAND」オープンしました! ガチャポン自販機に手のひらサイズのお弁当やシウマイのミニチュアが崎陽軒の店舗にも登場! サメ体感カウンターで海の王者・サメに○○○が体験できる!? 獲るぞ。アジアの頂点を。ACL決勝第1戦は5月11日(土)19時キックオフ! 連載目次一覧 横浜LOVEアイドル2023・吉村萌南の「もなみんLOVEレストラン」 ホテル広報が綴る横浜山下町の日々~NEW GRAND DIARY~ 崎陽軒・ひょうちゃんの”横浜LOVE”プロジェクト 横浜・八景島シーパラダイスの飼育員生きもの日記 横浜18区の人とまちがつながる TSUBAKI食堂 18区丼ものがたり クラブ広報が最旬Newsを発信! 横浜F・マリノスのトピックス「マリトピ!」 横浜18区の魅力を伝え隊! 新横浜ラーメン博物館のウラ話 TOP ニュース コラム 企画 エリアLOVEWalker 横浜LOVEWalker 西新宿LOVEWalker 夜景LOVEWalker 九州LOVEWalker 丸の内LOVEWalker 戦国LOVEWalker ラーメンWalker ASCII.jp サイトポリシー プライバシーポリシー 運営会社 お問い合わせ ©KADOKAWA ASCII Research Laboratories, Inc. 2024

プレイワールドカジノの最速レビュー!評判・ボーナス情報・ ... 【完全マニュアル】カジノレオのログイン・登録方法徹底解説 バカラオンライン 188BETカジノ|オンラインカジノ攻略情報(攻略法・必勝法)
Copyright ©オリンピアコスリーグ The Paper All rights reserved.