ブックメーカー【おすすめランキング】2024

<ウェブサイト名>

<現在の時刻>

出典: 標準

教育情報の公表 保護者の方へ 卒業生の方へ 外国人留学生の方へ 高校教職員の方へ 企業・一般の方へ --> 訪問者別 保護者の方へ 卒業生の方へ 外国人留学生の方へ 高校教職員の方へ 企業・一般の方へ 受験生の方 在学生の方 関連施設・団体 情報ライブラリー 附属天理図書館 附属天理参考館 附属おやさと研究所 学校法人天理大学 天理高等学校第1部 天理高等学校第2部 天理中学校 天理小学校 天理幼稚園 株式会社キャンパスサポート天理 関連施設・団体 情報ライブラリー 附属天理図書館 附属天理参考館 附属おやさと研究所 学校法人天理大学 天理高等学校第1部 天理高等学校第2部 天理中学校 天理小学校 天理幼稚園 株式会社キャンパスサポート天理 検索 アクセス EN お問い合わせ 資料請求 関連施設・団体 情報ライブラリー 附属天理図書館 附属天理参考館 附属おやさと研究所 学校法人天理大学 天理高等学校第1部 天理高等学校第2部 天理中学校 天理小学校 天理幼稚園 株式会社キャンパスサポート天理 EN 大学紹介 大学紹介 天理大学について 建学の精神と教育目標 理念と歩み 校歌・逍遥歌・学歌・シンボルマーク 天理大学百年史 宗教主事 学長室 情報公開 教育情報の公表 大学評価 3つのポリシー カリキュラムツリー・マップ 大学組織図 取り組み・ガイドライン キャンパスとアクセス 広報誌『はばたき』 まほろば募金 重要なお知らせ ニュース イベント お問い合わせ 個人情報保護方針 採用情報 入試情報 入試情報 受験生の方へ 入試選びのポイント 入試方式 過年度入試データ 出願について 出願書類等 インターネット出願の流れ 入学検定料 受験について 受験後の流れ 入学手続き 納付金 奨学金・奨励金 学寮について Q&A 入試相談会 オープンキャンパス 資料請求 学部・大学院 学部・大学院 人文学部 宗教学科 国文学国語学科 歴史文化学科 心理学科 社会教育学科 社会福祉学科 国際学部 韓国・朝鮮語学科 中国語学科 英米語学科 外国語学科 国際文化学科 日本学科(留学生対象) 体育学部 体育学科 医療学部 看護学科 -->看護学科 臨床検査学科 大学院 宗教文化研究科宗教文化研究専攻 臨床人間学研究科臨床心理学専攻 体育学研究科体育学専攻 全学教育推進機構 教育・研究 教育・研究 天理大学の学び シラバス 総合教育科目 天理大学の教員養成 全学教育推進機構 総合教育センター 数理・データサイエンス・AI教育プログラム(リテラシーレベル) 情報ライブラリー 教員・研究者一覧 メディア出演・講演情報・教職員の新刊案内 おやさと研究所 キャリア・資格支援 キャリア・資格支援 取得可能な資格 進路・就職支援プログラム インターンシップの取り組み 進路・就職実績 キャリアアップ講座 キャリア支援課 就職支援システム 採用担当の皆様へ お役立ちリンク 学生生活 学生生活 各種サポート 学年暦 図書利用・PC自習室・厚生施設 学生相談室 健康・保険 学寮について 学生生活支援 障がい学生支援 学費・奨学金 学費 奨学金 高等教育の修学支援新制度 クラブ・サークル 課外活動手続き等 在学生の方へ 採用担当の皆様へ --> 国際体験 国際体験 国際参加プロジェクト 国際スポーツ交流実習 海外インターンシップ 外交官養成プロジェクト 学内の国際交流プログラム iCAFé 外国人留学生の方へ 各種手続き 保険制度・補償制度 授業料減免・奨学金 海外分校(パリ・ニューヨーク) 交流協定校 海外留学プログラム 交換留学 認定留学 短期留学 各種留学奨学金 留学Q&A 留学体験者の声 渡航中の安全と危機管理 海外語学実習・研修・派遣プログラム 社会連携 社会連携 生涯学習 地域・企業との連携 天理英語村 天理大学サテライトCafe & LS─「Caramel Market」 カウンセリングルーム ボランティア活動 訪問者別 受験生の方 在学生の方 在学生保護者の方 卒業生の方 受験生保護者・高校教職員の方 外国人留学生の方 企業・一般の方 お問い合わせ 資料請求 採用情報 まほろば募金 リンク プライバシーポリシー HOMEニュース外国語劇【天理大学百年史コラム(22)】 外国語劇【天理大学百年史コラム(22)】 2022.11.23 天理大学百年史 毎年秋におこなわれる天理大学祭において、学科ごとの発表があり、その中で外国語を学ぶ学科では、外国語劇を披露します。この外国語劇は本学の前身となる天理外国語学校時代から学生によっておこなわれてきた本学伝統行事のひとつといえます。中断した時期などもありましたが、現在まで継承されてきました。 語学校内大会 本学の外国語劇は、「語劇」または「語学劇」、大学以後は学科ごとの劇という意味で「学科劇」など、様々な呼称があります。では、第1回の外国語劇はいつ行われたのでしょうか。 天理外国語学校創立10周年に刊行された『開校十年誌』の「語学劇大会」には、「昭和四年一月二十六日春季大祭を機として学芸部、講演部合同の主催のもとに第一回語学講演、語学劇大会を元道場に開き、一般の好評を受けました」とあり、第2回目は1929(昭和4)年10月25日、第3回目は1930(昭和5)年10月25日であるとしています。また『天理大学五十年誌』にも同様の記載があります。 しかし、当時の記録である「昭和四年 天理外国語学校日誌」をみると1929年1月26日、午後一時より元道場ニ於て文芸・講演両部主催ニて語学校内大会を開催せり27日、午後一時より天理教館に於て講演部主催の講演大会あり とあることから、「語学劇大会」ではなく「語学校内大会」が開催され、日程も26日に講演と語学劇が同時に元道場にて開催されたのではなく、別の日にそれぞれの場所で開催されたことがわかります。 さらに『開校十年誌』には「一般の好評を受けた」とありますが、当時の書類には、「本会開催ノ目的ハ研究語学ノ練習並ニ各国風俗習慣の紹介ナレドモ演劇多ク且ツ練習時間僅少ナリシ為遺憾ナガラ今回ハ公開セザルコトトセリ」(昭和三年度「文書往復綴」)とあり、一般には公開されず、校内での大会だったことがわかります。また語学校内大会のプログラムには、教員による講話や生徒によるスピーチも含まれており、語劇だけの大会ではありませんでした。 また、第3回目は1930(昭和5)年であると『開校十年誌』にはありますが、公開された語劇の回数で数えると、これは第2回で、1932(昭和7)年におこなわれた語劇が第3回となります。実際、当時のプログラムにも「第3回外国語劇大会」と記されています。このように過去の年誌に記載された本学語劇の始まりには、少し事実とは異なる点があることがわかります。 ちなみに、学生による外国語劇はいつからおこなわれていたのでしょうか。1888(明治21)年に東京高等商業学校に英語会が組織され、年1回開催された英語大会にてスピーチや英語劇が発表されたそうです。東京外国語学校においては、1900(明治33)年におこなわれた講演会にて、外国語の朗読、演説、演劇がおこなわれたとされます。当時、この講演会には外国公使や公爵・侯爵などの著名人が来賓として集まり、新聞にも予告・批評が掲載されるなど、一般にも向けた注目すべき娯楽であったといいます。また、1922(大正11)年に開校した大阪外国語学校においては、1937(昭和12)年に第1回目の語学大会が開催されますが、これも地方巡回講演における外国語スピーチを契機として、東京外語のような語劇を目指して開催されたといいます。天理外語の語学校内大会の内容をみても、講演会の中のプログラムとして語劇が組み込まれており、古くから外国語劇を公開していた東京外語を参考にしていた点があったのかもしれません。  語学校内大会の劇のプログラム(講話などは省略)・女子学院北京語部1年 寄宿舎の一日(一幕一場)・北京語部1年 華人地場に帰る(一幕)・馬来語部1年 夫婦(一幕一場)・馬来語部1、2年 永久の恋人(一幕)・広東語部1、2年 大夢誰先覚(二幕二場)・女子学院北京語部1年 訪問(一幕)・朝鮮語部1、2年 公園内の社会相(一幕一場)・英語部1年 彼女は此方に彼女は彼方に(一幕)・北京語部1年 桃太郎の鬼征伐(三幕三場)・女子学院北京語部1年 模擬教室(一幕)・北京語部2年 申斥僕役(一幕)・西語部1年 悲恋(一幕七場) 写真に残る北京語部の語劇  では、公開はされなかったものの1929(昭和4)年1月26日の学内における語学校校内大会が最初の語劇だったかというと、それも断定はできません。 1928(昭和3)年1月3日「発屁会出演支那劇「華街雑観」北京語部第一学年生」と書かれた写真があり、それぞれ衣装を身につけた学生たちが、寄宿舎(のちの杣之内ふるさと寮本館)の2階とみられる場所で撮影しています。これについて書かれた資料が無いため詳細はわかりませんが、北京語部第一学年による支那語劇であるとみられ、先の語学校校内大会より1年前には語劇がおこなわれていたといえます。また、1930(昭和5)年1月に発行された『崑崙』創刊号に、「これまでも校内にては数回語劇会を催したこともあった」とあり、開催規模の大きさに差はあるかもしれませんが、幾度か校内にて語劇がおこなわれたと記載されており、第1回目がいつおこなわれたのか、現在の調査では断定できません。 発屁会出演支那劇「華街雑観」北京語部第一学年生 公開公演 一方で、学外に向けて公開した語劇については、1929(昭和4)年10月25日の公演が第1回目であることは明確です。この語劇は、天理教の秋季大祭に合わせて開催されました。その様子が『みちのとも』(1929年11月5日)に掲載されています。 外語主催の第一回外国語劇大会が盛会裡に幕を下したのは午後も九時半であった。雨は相不変ず降りしきってゐた。私には其の言葉は全然わからない。然し舞台に立ってゐる人々の真剣そのものな態度から言ひ知れぬ味を知り得た。中幕に中山校長が挨拶をせられたが、其の時の話は、「今回此の外国語劇を行った理由は一に語学の熟達を目的としたものであります。勿論語学を修得するには他にも色々と道もありますが矢張り自分が其の国の風俗、習慣等に浸って、直接異人と接するのが最上の方法なのであります。然しこれは言ひ易くして行ひ難き事でありますから、此の外国語劇を選んだのであります。そして語学修得の上から、なる可く多人数の出演し得る、セリフの多い、—これはやる者にとっては非常なる苦痛ではありますが—ものを選んだのであります。女になったものは女として、爺になったものは爺として、自分が其の人になった積りであるから、其の言葉は単に口の上のものでなく、心の底からのものであります。故に他の道では得られない様な効果を収め得るのであります。尚今回に於きましては準備万端な皆生徒自からが、何等人の力を借らずしてやったものでありますから、此の邊をよく了せられ、我々の意のある所を汲み取られて観て頂きたいのであります」大要右の様なものであった。前にも述べた如く私は言葉は分らなかったが、その真剣に引き込まれて私も又此の劇の中の一人として泣きもし笑ひもした。私は此の真剣一條を持って学ばれてゐる外語生を祝福する。 校長の挨拶の内容からわかるように、外国語劇を公演することになったのは、語劇の練習、発表を通して学生の語学力を向上させるという目的があったことがわかります。また、創立よりまだ4年の歳月しか経っていない外語にとっては、自分たちの存在と、海外布教を目指して語学を学んでいるという学生の意欲を教内外に向けてアピールする絶好の機会であったともいえます。 劇は各語部に分かれて、それぞれの言語で演じられました。 ・朝鮮語部 父帰る(菊池寛)・支那語第一部北京語 鴻門之会・支那語第二部広東語 俠女憐貧・露語部 どん底中の一幕(ゴルキー)・馬来語部 霊に生きる・西語部 サラメヤ市長(カルデロン)・英語部 ヴェニスの商人(シェークスピヤ)・女子学院支那語第一部 琵琶記 公演時間は午後1時から始まり午後9時半までかかったとあり、1語部約1時間弱の上演時間だったと考えられます。費用は300円でした。この公演にあたり、諸興行取締規則に則り、学校は興行願を丹波市警察署に提出し、また会場となる天理教館の借用書には、劇場に充てるべき相当の場所がないため、天理教館を借用したい旨を記しています。つまり、これは単なる学生による発表劇ではなく、一般大衆の観劇を目的とした演劇であったことがわかります。また、公演日の約4ヶ月前にあたる6月15日には、10月の公演にむけた試演会を学内にておこなっています。このときは、校内の元武道場を劇場とするため、大工に依頼して舞台をこしらえています。こうして数ヶ月前から準備を重ね演じた初めての公開語劇は、いかに学生たちが熱意をもって取り組んでいたかがうかがえます。 当時は天理外国語学校は男子のみで、女子は天理女子学院として独立していましたが、授業は外語の教室で共に学んでいました。この語劇に関しても、劇はそれぞれで出演しましたが、衣装や舞台背景などは男女が協力して制作しています。女子学院支那語第一部の2年生の学生数は7名で、6名が出演、1名が衣装制作と、全員で舞台に臨んでいます。それでも人数が足りなかったためか、唯一の3年生である今川せい氏と、英語部2年生の佐藤絹枝氏も演者として加わっています。 劇中の一場面。(『みちのとも』1929年11月20日号より) 第2回目の公開公演 第2回目の語劇も同じく翌年の天理教秋季大祭に合わせ、1930(昭和5)年10月25日に天理教館にて開催されました。 ・朝鮮語部 淋しき兄弟(二幕)・北京語部 完璧帰趙(二幕)・広東語部 芙容仙子(二幕)・露語部 カメレオン(一幕)手術(一幕)・馬来語部 神を迎えた靴屋(一幕)・西語部 人生は夢なり(一幕)・英語部 ハムレット(二幕)・女子学院北京語部 霓裳羽衣之曲(二幕) この様子について「去年は初舞台を踏んだ者も今年は既に経験を重ねてゐるから、制限ある経費の仕事として非常な苦心が見られるし殊に舞台装置一切に於てさすがに趣を練った跡がよく覗はれた。」「又帰場中の支那、朝鮮の人々がその観劇人の中に混つてゐたのも、外国劇大会には相応しい情景であった。尚こゝに特記しなければならぬことは此の大きくして且つ細い仕事が何一つのこらず生徒達の手に依つて準備され、生徒達の手に依つて整理された事である」(『みちのとも』1930年11月5日)とあります。今回も事前に、10月16日に校内の元武道場にて試演会をおこない、それから本番となる語劇大会を開催しています。費用は校費から約300円を支出しています。支那語部第一部の場合、昨年の出演者は2年生が主で、3年生は1名のみ、1年生も数人混じっての配役でした。このうち半数が、第2回の語劇において3年生もしくは2年生となって出演しています。そして新たな1年生も出演者に加え、語劇を引き継いでいることがわかります。 朝鮮語部金剛会が発行した『金剛』創刊号には、前回までの2度の公演をふまえて、「朝鮮語部の劇を見ぬ中は帰らぬと云はれるまでに我が語部の悲劇は有名だった」と書かれています。また観客の感情が極まり涙をこらえたすすり泣きを聞いて、「この一滴の涙を見る為めに此の涙をしぼる為めにどれ丈け苦心して来たことか、おいらの意気将に天を突く」とあり、この語劇を成功させるために、一生懸命練習した姿を想像させます。 女子学院においては、当時2年生の在学生がいなかったため、昨年の経験者である3年生と、初めての語劇を経験する1年生の支那語部全員となる7名が総出で出演しています。また、舞台装置から衣装からすべての準備において生徒達の手によるものとあり、90年以上を経た現在においても、こうした伝統は脈々と受け継がれています。 朝鮮語部「淋しき兄弟」劇 露語部。おそらく「カメレオン」の劇中の様子(『開校十年誌』より) 英語部「ハムレット」(『開校十年誌』より) 馬来語部「神を迎えた靴屋」(『開校十年誌』より) 第3回目の公開公演 第3回目は、例年にならい1931(昭和6)年10月の天理教秋季大祭に合わせて開催予定でしたが変更され、天理教春季大祭がおこなわれた1932(昭和7)年1月25日に天理教館にて開催されました。費用は例年と同じく約300円でした。 ・馬来語 ジャバの月・北京語部 虞美人草・西語部 人生は夢なり・広東語部 何が彼をそうさせたか・英語部 郭公鳥・朝鮮語部 呪はれた運命・露語部 検察官・女子学院 孟母断機 第3回外国語劇大会プログラム 女子学院「孟母断機」劇 「各語部によって表現された各国の人情風俗には、観劇者の心に汲めども尽きぬ外国気分を味はしめた点大成功だった」と「天理時報」(昭和7年1月28日)が報じています。しかし、このとき支那語第二部(広東語)と馬来語は2年生しか在校生がおらず、両語部ともに5名以下という少ない生徒数でした。第3回目の特徴は、北京語部(支那語部第一部)、広東語部(支那語部第二部)、朝鮮語部、女子学院の各語劇の原作者が外語の教授で、馬来語においては、2年生全員で4名しかいなかったにもかかわらず、学生である宮武正道氏が原作者となっています。  創立10周年記念の催し物 次の開催は、創立10周年記念の催しとして、1935(昭和10)年4月25日に校内の武道場(現天理高校第二柔道場)でおこなわれた語劇でした。前回の1932年1月の開催から2年間は語劇が開催されることはなく、なぜ開催されなかったのかはわかりません。 ・西語部 或る晴れた夜(一幕六場)・広東語部 神々の戯れ(二幕三場)・馬来語部 幸福の住む処(二幕三場)・朝鮮語部 心の渦巻(二幕)・北京語部 敗子回頭「泥濘」(二幕)・露語部 国境の町(二幕)・英語部 栄光の道(一幕三場) 語劇大会への会場案内看板(『開校十年誌』より) 北京語部 敗子回頭「泥濘」 開催されなかった明確な理由はわかりませんが、1933(昭和8)年には、支那語第二部(広東語)の学生が1年生しかおらず、また馬来語部および西語部においては3年生がいませんでした。また、翌1934年は、馬来語部、西語部の1年生がおらず、支那語第二部(広東語)においては2年生しかいないという状況にあり、語部により人数の確保が難しいこと、またすでに経験者がすべて卒業してしまったことなども理由にあったかもしれません。しかし、1935(昭和10)年の開催時も支那語第二部(広東語)は3年生のみ、馬来語部と西語部は3年生と1年生のみ、露語部は1年生がいない状態でした。それでも、やはり10年という節目に華を添える意味で、語劇が開催されたのかもしれません。このときの語劇には校長賞の授与があり、1等が朝鮮語部、2等が北京語部、3等が広東語部と馬来語部でした。これまでは女子学院の語劇も演じられていましたが、この年のプログラムには書かれていません。 これまでの公演と異なり、天理教の布教や信仰に関係する内容を題材とした劇を演じている語部が多いことも、この年の特徴です。広東語部は、天保9年10月26日、教祖天啓1時間前という時代背景で、場所は支那の天上界を舞台としています。朝鮮語部は、朝鮮の一寒村における天理教会での出来事を題材に、北京語部も主人公の信仰を題材に、英語部も信仰心の厚い青年が渡米した先での出来事を舞台にしています。 馬来語部は、「テーマは貧弱であったが観衆の感情をうまく捉らへた点、異様な服装、演出者各々の技巧等に加へてあらゆる点に於ける舞台効果を大ならしめた」と『睨南』2号に綴っています。また、この舞台の背景は、宮武氏が紹介した画家による南洋独特の草木を描いたものを用いており、本格的な背景に仕上がっていたのかもしれません。 その後、1936(昭和11)年から終戦に至るまで、外国語学校が語劇をおこなった記録は見当たりません。一方、女子学院においては、1936(昭和11)年1月26日の天理教教祖五十年祭における催し物として「お話と劇の会」を開催し、その中で国語部が喜劇「能因法師」を、支那語部が語劇「終身大事」を、家庭科部が教劇「みちのはじめ」を披露しています。これ以後は、女子学院においても語劇が開催された記録はみつかっていません。 戦後に語劇が開催されたとみられる最初の記録は、天理語学専門学校(1944年に外国語学校から改称)ではなく、女子語学専門学校(1944年に女子専門学校から改称)による語劇でした。その様子から現在に至るまでは、次のコラム「語劇そして、学科劇」にてご紹介します。 コラム「語劇そして、学科劇」はこちら 参考資料 ・天理外国語学校文芸部『校友会誌』1929年3月15日・『開校十年誌』山澤為次編 1935年・東京外国語大学WordPressサービス「外語祭の歴史」(シリーズ企画「99回を迎えた外語祭」)TUFS Featured/TUFS Today 2021.11.19・相沢正美「外語時代を顧みて—続編—」『扉』第8号 広島市上流川町朝日麦酒株式会社広島支店内大阪外国語学校大学同窓会城島支部発行 1963年7月1日・天理教道友社『みちのとも』548号(1929年11月5日)/569号(1930年11月5日)・天理教道友社「天理時報」 1932年1月28日・天理大学外国語学科『天理大学外国語学科フォーラム講演会抄録(2015~2018)』2018年3月22日 (年史編纂室 吉村綾子) 資料提供のお願い 本学に関係する資料や、またはそれに関する情報を継続して収集しています。 皆さまからのご連絡をお待ちしております。 詳しくはこちらをご覧ください(PDF)ダウンロード お問合せ先 関連リンク 天理大学百年史 2022.11.15人文学部国文学国語学科教育・研究受験生の方へ国文学国語学科 授業紹介:「授業って、どんなことをしているの?」① 漢文学基礎演習 2022.11.24天理大学百年史語劇そして、学科劇【天理大学百年史コラム(23)】 一覧へ戻る HOMEニュース外国語劇【天理大学百年史コラム(22)】 教育情報の公表 お問い合わせ 資料請求 天理大学は公益財団法人大学基準協会の大学基準に適合していると認定されています 天理大学の自己点検・評価活動 > © 2014 Tenri University 杣之内キャンパス 〒632-8510 奈良県天理市杣之内町1050 体育学部キャンパス 〒632-0071 奈良県天理市田井庄町80 別所キャンパス 〒632-0018 奈良県天理市別所町80-1 受験生の方へ 在学生の方へ 保護者の方へ 卒業生の方へ 外国人留学生の方へ 高校教職員の方へ 企業・一般の方へ 採用情報 リンク プライバシーポリシー 人文学部 国際学部 体育学部 医療学部 大学院 天理大学について 入試情報 教育・研究 学生生活 キャリア・資格支援 国際体験 社会連携 まほろば募金 学校法人天理大学 自己点検・評価活動 採用情報 リンク プライバシーポリシー © 2014 Tenri University 入試情報 訪問者別 受験生の方 在学生の方 保護者の方へ 卒業生の方へ 外国人留学生の方へ 企業・一般の方へ アクセス 検索 -->

ロイヤルパンダ出金 beebet登録できない mリーグ無料で見れなくなった スポーツベットあいおー
Copyright ©ブックメーカー【おすすめランキング】2024 The Paper All rights reserved.